文学部の頭で宇宙を考える。
2011-06-08


前の記事を書いてから,またいろいろと考えてしまいまして。
 
子供の頃から宇宙のことが気になってしょうがなかった。
宇宙の全貌はどうなっているのか。
果てしないと言っても,果てが無いってどういうことなんだよと。
いくら考えても元に戻ってきてしまう。
まあ今でもそうです。
しかしこういうことは,専門的な学者に任せておくだけでなく,死ぬまで自分なりに考え続けていくつもりでおります。
真実も重要ですが,多少なりとも自分なりに納得して死にたい。
納得できなくても,どこまで考えられるかが大事かなと。
 
今の定説は,ビッグバンがあって,そこから宇宙は広がったということですよね。
しかしどうしても無から有が生まれるというのが納得できない。
「無のゆらぎ」と言われても,なんで無がゆらぐんだよと。
このブログ以前に,くだらないことを少し書いていたウェブページがあるのですが,そこに書くつもりで残していたメモがあります。もうたぶん10年ぐらい前のメモです。
それをちょっと書き写しますが。
 
「宇宙はゼロから始まったのではなく,極限から始まり,極限に向かい,極限に帰る。/時間も空間も無かったのではなく,始まりも終わりもない。/始まりを特定できない。/何故なら思考の中で宇宙が極小に達した時,いつの間にか極大の時空にさらされてしまうから。/宇宙の果てを目指して飛んでいっても,光速の極限を超えたところで新たな膨張を始める場に自分がいることに気付く。」
 
今読むと狂人のメモのようです(笑)。
とにかく,結構真剣に考えていたらしきことは伝わってきます。
言ってることはよくわかりませんが(笑)。
当時考えていたことを思い出しますと,とにかく0から出発するのはどうなんだと。
時間を遡ってビッグバンまで行くと,体積が極小で密度が極大。
絶対そこから始めなきゃいけないのかよと。
最近アメリカの天才少年がビッグバンについて否定的意見を持っているとの情報があった。
[URL]
今後,彼が導き出す結論がどうなるか,またその結論を私が理解できるかは疑問ですが(笑),注目していきたいと思います。強い味方を得た気がしてますが,この先どうなるかはわからない。
私が考えたのは,極小から一方的に極大に向かうだけと考えるのがおかしいのではないかと。
極小→極大→極小と繋がる,或いは連続する,或いは同居する考え方はないものか。
それもややこしい数式などでなく,高校数学で飛んでしまった頭でもすっと理解できる何かがないか。
一つ思いつきました。
これに意味があるとは思えませんが,上記の疑問に対するバカなりの一つの答えです。
 
禺画像]
 
ビッグバンで宇宙がドーン!とはじけたと。そこから膨張を続けている状態を表したグラフです。
時間が経つと空間も広がる。
そのグラフのライン上の任意の点に,ゼロ(ビッグバン)から直線を引く。
するとその直線と時間軸に角度ができる。
時間が経てば経つほどこの角度は小さくなる。
時間・空間が無限大になれば,この角度は極小になってくる。
角度ゼロは空間ゼロだ。
これが私なりの文学部脳での(笑)極大と極小が連続する,或いは一致すると言った方がいいかもしれませんが,一つのコンセプトです。
だからなんだというところですが。これに意味があるとは思えませんが。
結局何が言いたいかといえば,3次元にせいぜい時間軸を加えた程度の世界にどっぷり浸かっている人間には,ビッグバンからのスタートに思えるかもしれませんが,そうじゃない可能性もあるのではないかと。
突き詰めて考えたらどうしてもビッグバンになるが,その極小は実は極大と一緒で,そこから始まった訳ではなく,ずっと連続して繋がっているのではないか。

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[日常]

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