ま,それだけ日本中が熱狂したということなのでしょう。
それはともかく。
昨日はちょいと我が母校に行ってきまして。
ツイッターに書いたことの繰り返しになりますが。
古い校舎はとっくに取り壊していて,新しい校舎が建ったのは知っているし,何度か訪れてもいるのですが,今回行ってみたら更に進化していた。
↓の写真は,ちょっとわかりづらいかもしれませんが,バスなどが通る公道の上に渡り廊下と言うのかな,空中回廊(?)を作っちゃっているのですね。
大学関係者にしかわからない言い方をしますと,昔図書館があったところから常盤松に向けて生やしちゃっている。
今研究室がどうなっているのかは知りませんが,昔と同じように常盤松に研究室があるのなら,教授は雨の日でも濡れずに講義に行けるということなのかな。
まあびっくりしましたよ。こういうのって,認可通すのが難しいんじゃなかったかな。
メインのタワーは早くにできたのですが,こんな↓感じ。
國學院には昔から伝わる「國大数え歌」というものがありまして,その1番。
一つとせ 一つ渋谷の丘に建つ 國學院のぼろ校舎
ソイツァ豪気ダネ ソイツァ豪気ダネ
と言うのですが,もう全然ぼろ校舎じゃない。それどころか超豪華だ。
この歌も過去のものになりますね。
2番も
二つとせ 古い校舎は何のその 若いおいらにゃ意気がある
ソイツァ豪気ダネ ソイツァ豪気ダネ
と。
この手の歌がいくつかあるのですが,共通しているのは,校舎がぼろい,古臭い,女にモテない,というところで,自虐的なユーモアがこもっていたのですが,これも校舎に関してはもうダメだ。
昔の,特に研究室があった棟はかなりスリリングで,地震が起こると学生よりなにより教授が逃げたと(笑)。危ないのをよく知ってるから。
しかし國學院にはいい話も残ってまして,戦争の時,渋谷も戦火に襲われたと。
その時,國學院にも結構な稀覯本(古事記とか)などがありますので,教員,職員,学生が集まって本を避難させたのだそうです。
戦争によってあちこちで貴重な書物がかなり焼けてしまったようですが,そうして本を守ったんですね。
とは言え不思議な学校で,私が通っていた当時でも,先生方の待合の前にはタバコの自動販売機があり,前述の研究室のある棟にはビールの自動販売機までありました。流石に今は無いだろうねえ。
学食でビールは勿論,ジンフィズやらハイボールやら売ってました。よく飲んだものです。
すっかり変わってしまった母校ですが,この↓一画だけは変わらないようです。
当然だけど,ちょっと安心した。
大学を出て,せっかく渋谷まで出たのだから他の用もからめないと勿体ない。
渋谷には昔からプラネタリウムがあったのですが,渋谷パンテオンを壊すとともに無くなってしまった。デートスポットだったそうですけどね。聞いた話だけど。
それが別の場所で最近復活した。
しかも今,奇跡の帰還を果したはやぶさの物語を上映しているらしい。
これは行かねばということで「コスモプラネタリウム渋谷」に走る。
セコメントをする